2009年11月25日水曜日

牛すきやき丼Sとしめじ入りひじき煮


 今回の2品は牛すきやき丼としめじ入りひじき煮の2品です。すきやき丼はほかほかのごはんにたっぷりのタレがしみこんだ牛肉やたまねぎをのせた1品とひじき煮はひじきにしめじを合わせた1品です。すきやき丼は濃厚なタレがしみこんだ牛肉がとてもおいしく、ごはんと一緒に食べるとさらにおいしく、汁のしみこんだごはんだけで食べてもおいしいです。サイズはS,Mから好きなサイズを選べます。ひじき煮は健康に良いひじきにしめじを加えたことで普通のひじき煮とは違った味や食感が楽しめます。

 

豆知識

今回はすきやきについての豆知識です。日本では幕末になるまで、仏教の戒律などのため牛肉を食べることは一般には行われていなかったが、別に「すきやき」と称された料理は存在していたとされています。古くは寛永20年(1643年)刊行の料理書『料理物語』に「杉やき」が登場しており、これは鯛などの魚介類と野菜を杉材の箱に入れて味噌煮にする料理である。さらに享和元年(1801年)の料理書『料理早指南』では、「鋤やき」が登場している。また、文化元年(1804年)の『料理談合集』や文政12年(1829年)の『鯨肉調味方』にも具体的な記述が見られ、使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や、あるいは鯨肉などを加熱する一種の焼肉であったことが判る。この魚介類の味噌煮の「杉やき」と、鳥類・魚類の焼肉という「鋤やき」という二種類の料理が、牛肉の鍋物としての「すき焼き」の起源と言われている。なお、すき身の肉を使うことから「すき焼き」と呼ばれるようになったという説もある。

安政6年(1859年)に横浜が開港すると、居留地の外国人が牛肉を欲しがり、地方から牛肉が運ばれるようになった(神戸からと言われている)。このような状況で、文久2年(1862年)に横浜入船町で居酒屋を営んでいた伊勢熊(いせくま)が牛鍋屋を開業する。明治元年(1868年)、外国人向けに東京・芝に屠牛場ができた。以降、東京でも牛鍋屋が流行し、以後牛食は文明開化の象徴となる。仮名垣魯文はこうした状況を『安愚楽鍋』(1871年)に描き出している。この関東の「牛鍋」に対し、関西では先に焼いた牛肉を砂糖・醤油・出汁で調味する「すき焼き」が行われており、次第に関東でもこちらの「すき焼き」という呼称が定着していったようである。

関東のすき焼きは明治に流行した牛鍋がベースになっており、出汁に醤油・砂糖・みりん・酒などの調味料を混ぜた割下をあらかじめ用意し、割下の中で牛肉を煮る。関西のものは文字通り牛肉を焼く料理で、肉が焼けたところに砂糖を乗せるか、まぶし、醤油を直接加えて味付けをする。肉と水の出る野菜を同時に焼かない点、コンニャクなど肉を硬くする作用を持つものを一緒に焼かないことなど、関西の調理の手順には特徴がある。

東西の食べ方の境界線は、愛知県豊橋市にあると言われる。現在では割下を万能調味料として売り出していることもあり、その境界は明確ではなくなってきている。また滋賀では鶏肉で食べる習慣もある。

 

 

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